破綻 La malora
ランゲ一帯に雨が降っていた。あの上のサン・ベネデットの丘で、ぼくの父は地中に滲みこむ雨水に初めて濡れそぼっていた。
先週の木曜日の夜に亡くなって、ぼくらは日曜日に二つのミサの合間に父を埋葬した。ぼくのパドローネが三マレンゴ[六〇リラ]を前払いしてくれて幸運だった。さもなければ、家中を引っ掻きまわしてもぼくらには司祭に払う金も棺代も親類に出す食事代もなかった。墓石はもっと後で、ぼくらの暮らしがいくらかでも息をつけるようになったときに建てるつもりだった。
ぼくは水曜日の朝に再び発ったのだけれども、母は父の衣服のうちのぼくの分を包みのなかに押し込もうとした。だから、ぼくは母に言った。取っておいてほしい、トビーアがまた休暇をくれる最初の折りに、それを持ってゆくから、と。
それでも、歩いてゆく道すがら、ぼくはすっきりして、落着きはらっていた。ぼくが心のなかでこんなにも諦めきっているのを、司祭になる勉強をしている弟のエミーリオが知ったなら、安心して喜んでくれたことだろう。しかし、ベネヴェッロの高みから低ランゲにトビーアの農場を見た瞬間に、そんな諦めは跡形もなく消え失せてしまった。ぼくは父を埋めてきたばかりだというのに、もうおのれの惨めな生活をそっくりそのまままた始めようとしていた。父の死さえもぼくの宿命を変えるのに役立たなかった。そういうことなら、ぼくは道をすぐ右に折れて、ベルボの川岸までずんずん下って、たっぷりと深い淵をそこに探すこともできたのだった。しかしぼくは真っ直ぐに進んだ。決して幸運だったためしのない母のことと、ぼくと同じ罰を背負って神学校へ戻っていった弟のことが、たちまち心に浮かんだからだった。
ぼくはマネーラの居酒屋に立ち寄った。休むためというよりはむしろパヴァッリオーネに早く着きすぎて仕事を背負[しょい]いこまないためにだった。そんな目に遭えば、ぼくは何か途轍もないことをしでかしかねなかったから。
トビーアと一家の人たちはぼくを病人みたいにいたわってくれたが、それも一日だけのことで、その翌日からはまたぼくをこき使って、やっと日が暮れてみればその一日ほどに働きずくめだったことはないとぼくには思えたくらいだった。それがかえってぼくにはよかった。しっとり夜露に濡れながらおまえが夜っぴて麦穂を刈り取って山にした明け方には、寝に帰らずに、むしろ陽が赤く照らしてくれるまでまた刈りつづけると身体も温まるし疲れも抜けるのにやや似て、かえってそれがぼくにはよかったのだった。
どうしてぼくの家族が息子、つまりぼくを、家から遠く離れて下男に出すことにしたのかは、おのれだけで理解するにはぼくはまだたぶん若すぎるのかもしれない。ぼくらの父母は彼らの事柄を、ぼくらを生んだ仕方を教えてくれたであろう以上には、ぼくらに説明してくれなかった。決して一言も口を利かずに、父母はぼくらの前に、仕事、食事、日曜日ごとの小遣いを突きだし、そしてしまいには、ぼくには、下男として出てゆくことを押しつけたのだった。
ぼくらは親類たちの最後ではなくて、どの親類もみな楽な暮らし向きだった。塩タバコの専売権を持つ者、肉の小売業を営む者、自前のよい土地を持つ者たちだった。そうした親類たちならばぼくは父親の埋葬の折りに見かけたが、みな馬や牛に牽かせた乗物に乗ってやって来て、貧乏たらしく歩いてやって来た者は一人もいなかった。
ぼくが八つくらいのときに、父母がサン・ベネデット村の塩タバコの専売権を引き当てていたなら、ぼくらはかなり心丈夫に感じられたことだったろう。ところがその専売権は、郵便局のノリーナから借りた金によって、カノーニカ家が取得してしまった。ぼくらの父はあのころ、借金をすることを恐れすぎていた。
いまになってみればぼくにははっきりと分かるのだが、父の心はとうに土を耕すことからは離れていて、その専売店用の品物をアルバやチェーヴァから仕入れて荷馬車で街道を飛ばすおのれの姿ばかりを見ていた。だから、再び土に屈みこまねばならなくなったとき、父はその意欲と堅実さの大半を失っていた。ぼくら子供たちは、父がぼくらにあまり指図や注意をしなくなってからも、相変わらず以前と同じように働いていた。けれどお昼にも、夕食にも、ぼくらの前に出されるポレンタはますます少なくなって、ロビオーラはほとんど見かけなくなった。そしてクリスマスになってももう干し無花果にはお目にかからなかったし、蜜柑などはなおさらのことだった。
ぼくらの母はその醗酵チーズの仕事を倍加したけれども、鉢の縁にこびりついた小片にすら手を出させなかった。そしてニエッラでは小鉢一杯分につきぼくらの村よりも一銭余分に支払うと知ると、ニエッラにそれを売りにゆき、それからムラッツァーノではいくらかましに支払うと知ると、あの上まで丘二つを越えてそれを売りにゆくのだった。だから早くも、いつも口から心臓が飛びだしそうにして、目は輝きすぎているか生気がなさすぎるかのどちらかで、決して適度であったためしがなく、赤い染みの浮きでたすっかり青ざめた顔をして、いつでもたったいまベルボ谷の急斜面を家まで駆け登ってきたという顔つきをしている、父の長姉みたいになってしまった。ぼくらが野良に出ているときには、母は祈っておのれに大声で言うのだった。あるときぼくが野良からちょっと戻ったときに、凝乳させている母を見かけたが、母はおのれに言っていた。「いまあの娘がいてくれたなら!」ステーファノのあとに生まれて頭を患ってぼくの生まれる前に死んだぼくらの姉のことを言っているのだった。モネシッリオのぼくらの祖母と同じジューリアという名前で、ステーファノはいざ知らず、ぼくやエミーリオには実感のない姉だった。だが、あのころでさえ、その墓地の前を、あるパドローネがおのれの土地の前を通りすぎるみたいに、そっぽを向いて通りすぎたりはぼくは決してしなかった。
暮らし向きは悪くなった。食事の量と薪の節約ぶりがそのことを告げていたし、ぼくらの母が小銭を掌に載せて、数えて使おうとするたびに、ぼくは震えて、一つ石が抜かれて落ちてくる丸天井を見るのを待つかのように、ほんとうに震えていたくらいだった。しまいには秋と冬の晩に最寄りの農場へエミーリオを遣って明かりを点けてもらい、マッチを取っておく始末だった。ぼくがそうした用で出かけたのは、エミーリオが熱を出したある晩の一度だけだった。そしてモナステーロ家の人たちは明かりを点けてくれたけれども、そこの老婆がぼくに言った。「帰ったら、うちの人たちにお言い。この次にはあたしらが消えたランプを持ってあんたらの家へ行くから、
マッチはあんたらが使わねばならない、とね。」
ぼくらの父は薪用の崖地半分とベルボ川ぞいに持っていたあの草地まで売ったけれども、そうした売却金はぼくらの足しにはならずに、ほとんどが土地取引税の支払いに消えてしまい、専売権の債権をぼくらから免除しようとしないカノーニカ家の人たちを潤しただけだった。ぼくらの父母が老いた女教師のフレーズィアから、やがてぼくの弟エミーリオの運命を決めてしまった、あの百リラを借金したのはそのときのことだった。
いくらかでも暮らしが楽になるように恵みを乞うために、ある年、ぼくらの母は、この土地から遠く離れた、その裏手はもう海といっていいくらいの山の上にある〈荒れ野の聖母〉の聖堂まで巡礼に発った。たったいまのことのようにぼくは思い出す。背伸びしたぼくらが、モンバルカーロの街道を歩む女たちの行列を眺めてしばらく経ったころのことだった。よそゆきを着たぼくらの母が、食べ物の小さな包みを抱えて、家から出てきた。そのあとからぼくらの父が出てきて、母に叫んだ。「おいぼれ自堕落女め、まさか、あんな怠け者どもと一緒に行って、おれをおいてゆくのか?」母は振り向いたけれども、立ち止まらずに、父の瞳のなかを覗きこんだだけだった。そして父は相変わらずついていって、母を確実に捕まえられるように走りだそうとした。しかもその間にも言いつのっていた。「いったい何日後に戻ってくるか分かるものか、足じゅう腫れあがらせて、身体じゅうくたくたになって、一週間はおれの面倒を見られないことだろう。」すると母が立ち止まって父に言った。「ブラーイダ、あたしをゆかせて。あたしがこの家から出なくて七年になるわ。あたしをゆかせて、あたしの魂のためなのだから。」
「魂なぞ飛んでゆけ!」父は母に面と向かって叫んだが、やがて言った。「女はお楽しみなことだ。せめて食事の用意はしておいたろうな?」
出立が叶って、しばらくすると行列のなかに紛れこむ母の姿をぼくらは見た。母は確かな足取りですぐに先頭の集団に入ってゆき、その足取りばかりではなくて、振り返らずに連れを求めなかったことからも、母の善い意図が見て取れるのだった。なのに他のどの女たちも物見遊山みたいに歩いていった。四日後に、母は夜に帰ってきたし、しかも朝はいつもと同じ時間に起きて、日々の自分の仕事をした。けれども巡礼の甲斐もなかった。神はぼくらとともにいたためしがなかった。
やがて王がステーファノを兵隊に呼びだし、彼は徴兵所で小さな数字を引き当ててきた。ぼくらの父は罵り、母は泣いたのに、彼ステーファノは喜んでいた。あの晩、ぼくは牧場にいて彼の声を聞いたが、その近くで彼は全裸になってベルボ川で身体を洗っていた。陽気な叫び声だったけれど、その野性の声にぼくも羊たちも怖くなった。かなわなかった、なお二ヵ月も家にいて、土曜日には仲間たちと連れ立って否応なしにぼくらのランガの居酒屋という居酒屋を飲み歩いて、月曜日の夜になってやっと帰ってくれば、ぐでんぐでんに酔っていて牛小屋にぼくらが彼を放りださねばならなかった。それから、ある夜に発っていったが、ぼくら二人の弟は起こしてももらえなかった。
手紙が来て、ぼくらが読むとオネッリアで砲兵隊に入っているのだった。その町についてはそれが海岸にあるということのほかにはぼくは何も知らなかったので、休暇で彼が戻ったら、海について何か聞いてみたいところだった。しかし休暇中もステーファノは戻らずに、自分の写真を一枚送ってきただけで、それを見るためには年寄りの部屋に入らねばならなかった。オリーヴの葉枝と聖なる蝋燭の真ん中に一本の紐に吊るさって、その写真はあった。あるとき書き送ってきた手紙によると、彼は教練や行軍で汗水たらしているあの兵隊たちではなくて、ずっと利巧な彼はある将校の従卒になって、とても楽しているとの由だった。そこで、ぼくらの父母がエミーリオにペンを執らせて、そんなに楽ならば家に兵隊の十日分の給料[デーカ]を送れとステーファノに宛てて書かせた。あの手紙以来、彼はもう手紙を書いてよこさなかったし、彼からは一銭の送金もなくて、休暇の折りにも帰ってきたためしがなかった。家にいるぼくらは女教師への借金を一スクード[五 リラ]も減らしてゆくことが出来なかった。
二十一ヵ月後に除隊して、ずっと堅くどっしりとしてずっと横柄になって戻ってきた。彼をまた仕事に慣れさせて、また始めさせるのに丸一ヵ月もかかってしまった。いまでは彼は毎晩、居酒屋に出かけて、おのれの物語と引き換えにみなからせしめたぶどう酒でたいていの夜は酔っぱらって帰るのだった。弟のぼくらには、彼の見た海やあの土地のことを少しでも話すと死んでしまうみたいだったくせに、居酒屋ではみなの関心を一身に集めて、むかむかするよその土地の女たちの話ばかりいつもするのだった。エミーリオが端綱を引く牛たちの後ろで、兄はぼくと並んでまた働きだしたが、その腕半分の太さもない腕のこのぼくが仕事では倍の力を出すのだったし、五分ごとに背伸びして彼はボッソラ峠をしばしば見やるのだった。
ステーファノが家族に戻って、エミーリオが出立するときが来た。アルバの神学校で司祭になる勉強をしにゆくのだった。ぼくらは女教師への借金をおよそ二スクード[一〇リラ]減らせただけだったし、女教師も片足を棺桶に入れている身であってみれば、その百リラを取り戻す必要はさらになかったので、ある晩、家を訪ねてきて、もしもぼくらのエミーリオを司祭にするように彼女に託すならば、借金を棒引きにしてやると父母に話した。借金を棒引きにするばかりか、彼の神学校費用に毎月一リラを寄越すし、あと数リラは小教区の司祭に出させよう、と言うのだった。
エミーリオは何も言わなかった。ぼくのパドローネとなったトビーア・ラービノのまえでぼくが何も言わなかったのと同じだった。年寄りたちはかなりせっかちに、はい、と言ったのだった。
その動機はわれらの〈主〉を侮辱するものでさえあったかもしれないけれど、しかしぼくの弟エミーリオが司祭になるのは良いことだった。まず第一に、エミーリオは善い人間だったし、教会のなかに最も長くしかも行儀よく止まっていられたのは弟だったし、そのうえ学校ではサン・ベネデット村中で一番だった。だから父母は、何事か天に乞いたいときにはいつでも、彼に祈らせるのだった。彼こそは最も罪のない人だったから。それに彼は力はわずかしかなくて、苦痛を覚えずにやれることといったら、牛たちの前で端綱を引くことだけだった。
ある土曜日の朝に彼は神学校に向けて発った。アルバへ取引にゆくカノーニカの荷馬車に乗っていた。彼が乗りこむまえに、ぼくらはみな頬にキスした。ぼくらの母は泣いていたし、ぼくらの父は母が泣くので悪口を叩いて言った。「おお、ばか女め、おれが死んだら、小教区の司祭になった息子のもとへ行って暮らして賄い女をやるくらい仕合わせなことが、おまえにあるか?」そこにはステーファノがいて、ぼくがいて、そのぼくは、あと五分もしないうちに、もう傍らにエミーリオなしでこの土地にいることが納得ゆかなかった。女教師のフレーズィアがいて、エミーリオとイタリア語で話していた。ここの小教区の司祭はその場にいなかったが、エミーリオは前
日に司祭館で、神学校では始めのうちはどのように振舞わねばならないかを聞いてきていた。
カノーニカはぼくらの母の泣き声が聞こえるので、馬に鞭を当てるのを躊躇っていた。そこで女教師が母に寄りそって言いきかせた。「メリーナ、でもあの子がここで最初のミサをあげるときの慰めを思ってもごらんなさいな。そしてあの子から聖体のパンをあなたがたが最初に受けることになるんですよ。」やがてぼくらの父がカノーニカに合図して、彼らは出発した。その年が終わる前に、弟に再会できると言った者があったとしても、ぼくはわが耳を信じなかったことだろう。だけど、ぼくのパドローネのトビーアと一緒に出かけた、まさしくアルバで、ぼくらは再会したのだった。
ぼくが十七歳になろうというときにぼくの番が来た。わが家の飢餓にも拘らず、ぼくの体重は七十キロあって、ぼくは骨太でがっしりしていた。その夜、床に就いたとき、明日、父がニエッラの市場に出かけることは承知していたけれど、一人でゆくのだろうと思っていた。だから、未明の闇のなかで父の声が降ってきたときには、ショックだった。「アゴスティーノ、起きろ、よそゆきを着るんだ。」そんな虫の知らせがしたかどうかは定かではない。何もかもまるでこのぼくが復活祭のころの仔羊でもあるかのように、事が運んだのだった。
市場へゆくのは楽しみなことだったのに、その市場でぼくはおのれの宣告を受けたのだった。それはすぐに起きたことではなくて、ぼくはニエッラの市場をこころゆくまで歩きまわることができたし、低ランガのあの男とも一度ならず擦れ違ったのだった。一時間後には、あの男がぼくの両腕を触って確かめて、背中を掌尺で測り、それからぼくの値段を父親と決めてしまうとも知らずに。
トビーア・ラービノが言った。「こいつになら、年に七マレンゴ[四〇リラ]あんたに支払おう。」
すると、ぼくの父。「体重一〇キロにつき一マレンゴ支払うというのだな。」
そうした言葉のやりとりの間中、ぼくはただ一つことだけを思っていた。家にいるぼくの母はこのことを知っていて、このニエッラの市場でぼくらと一緒にその場に立ち会っているようなものだった。父とトビーアは大声での掛け合いを楽しんでいるみたいにぼくには思えたし、声の大きさで勝っていたのは父のほうだった。
手に触れ合って、トビーアがなおも言った。「満足ゆく働きぶりなら、おれの家で過ごすクリスマスごとにズボンを一本、こいつに進ぜよう。だが、すぐに勘定に入れるなよ、そいつは契約とは別のことだからな。」
「まぁ、こいつを働かせてみな!」と、父はやつに叫んだ。けれども父のこの言葉はぼくに対する残酷さではなくて、ブラーイダ家の血筋を労働でうち砕く低ランガのあの男への挑戦にほかならなかった。
パヴァッリオーネに向けてぼくは一週間後に出発した、徒歩で、トビーアに教えられた街道を。すでに年季奉公に出たほかの男たちの血がおのれの血管のなかで騒ぐのをぼくは感じていた。
(工事中)